想定読者
- 会議で自分への反対意見が全く出ず、むしろそこに不安を感じ始めている経営者やリーダー
- 部下からの耳の痛いフィードバックを感情的にならずに受け止め、自らの成長と組織の改善に繋げたいと考えている方
- 忖度や部門間の対立がなく、誰もが会社の未来のために建設的な意見を言える風通しの良い組織文化を、自社に醸成したいと考えているすべての人
結論:リーダーの器は「反対意見」に耐える力で決まる
あなたの周りには、あなたに対して面と向かって「それは間違っています」と言ってくれる部下はいますか。もし一人もいないとしたら、あなたの組織は極めて危険な状態にあると言わざるを得ません。なぜなら、リーダーへの「反対意見」がなくなった組織は思考を停止し、間違いを正す能力を失い、やがてはゆっくりと、しかし確実に衰退していくからです。
中国史上、最高の名君は誰か。多くの歴史家がその問いに、唐の二代皇帝・太宗(李世民)の名を挙げます。彼が築いた「貞観の治」と呼ばれる平和で豊かな時代。その成功の最大の要因は、リーダーが部下からの「諫言(かんげん)」、すなわち耳の痛い厳しい意見を積極的に求め、それを自らの成長と組織の改善に徹底的に活用したことにあります。リーダーの器の大きさとは、どれだけ優れた指示を出せるかではありません。どれだけ自分への耳の痛い意見に謙虚に、そして真摯に耳を傾けられるか。その「聞く力」の大きさで決まるのです。
なぜ『貞観政要』は、帝王学の教科書となったのか?
『貞観政要(じょうがんせいよう)』とは、太宗と彼に仕えた臣下たちとの間で行われた、政治に関する問答を記録した書物です。それは単なる成功譚ではありません。リーダーである太宗が、いかに臣下たちの厳しい意見に耳を傾け、時には自らの過ちを率直に認め、軌道修正をしていったか。その生々しい「試行錯誤の記録」です。
例えば、太宗に最も厳しい諫言を繰り返した臣下、魏徴(ぎちょう)。彼はもともと、太宗が兄弟との後継者争いで殺した兄の部下でした。いわば敵方の人間です。しかし太宗は、その才能と率直さを高く評価し、自らの側近として重用しました。この一点だけでも、太宗がいかに自分にとって耳障りな、しかし価値のある意見を大切にしていたかが分かります。だからこそ『貞観政要』は、1000年以上にわたり、リーダーが組織をいかに健全に運営すべきかを学ぶための、最高の「帝王学の教科書」として読み継がれているのです。
名君・太宗が実践した「諫言を聞く」3つの技術
では具体的に、太宗はどのようにして部下からの厳しい意見を引き出し、それを組織の力に変えていったのでしょうか。
1. 諫言しやすい「雰囲気」を、リーダー自らが作る
部下が上司に反対意見を言うのは、本来極めて勇気がいることです。太宗はそのことを誰よりも理解していました。だからこそ彼は、臣下たちに対し常に「朕(私)に至らぬ点があれば、どんな些細なことでも良いから遠慮なく指摘してほしい」と繰り返し公言し続けました。リーダー自らが、積極的に、そして繰り返し反対意見を歓迎するというメッセージを発信し続けること。これが部下の中に「このリーダーには本音を言っても大丈夫だ」という安心感、すなわち「心理的安全性」の土台を築くのです。
2. 感情的にならず「まず、受け止める」
太宗も完璧な聖人ではありません。時には魏徴のあまりにも厳しい直言に激怒することも、ありました。ある時、あまりの怒りに「いつかあの田舎者を斬ってやる!」と皇后に怒りをぶちまけたという逸話さえあります。しかし重要なのは、その「後」です。彼はその怒りの感情を、決して魏徴本人に直接ぶつけることはありませんでした。そして一晩おいて冷静になった後で、必ず「なぜ魏徴はあのように言ったのだろうか」とその真意を考え直し、最終的にはその意見を受け入れたのです。カチンときても、すぐに感情的に反論しない。まず一呼吸おいて、「そうか、君はそう考えるのか」と一旦相手の意見を受け止める。この冷静な姿勢が、建設的な対話を可能にするのです。
3. 諫言した者を「褒め、報いる」
太宗は厳しい諫言をした魏徴を、罰するどころか、むしろより高い地位につけ多くの褒美を与えました。そして魏徴が亡くなった時、「私は自分を映す最高の鏡を失ってしまった」と深く嘆き悲しんだと言います。これはリーダーにとって耳の痛いことを言ってくれる人材こそが、組織にとって最も貴重な「宝」であるということを、具体的な「行動」と「評価」で組織全体に明確に示したということです。これにより「この組織では諫言をすることが評価される良い行いなのだ」という健全な文化が醸成され、リーダーの元にはさらに多くの価値ある情報や意見が集まるようになるのです。
魏徴に学ぶ「聞いてもらえる」諫言の作法
一方でこの理想的な関係は、リーダーの努力だけで成り立つものではありません。意見を言う部下側にも、守るべき「作法」があります。
- 私心なく、組織のためを思う: 魏徴の諫言が太宗に受け入れられた最大の理由。それは彼の言葉が決して個人的な恨みや派閥の利益のためではなく、常に「皇帝のため、国のため」という公平無私な視点に基づいていたからです。自分の意見が本当に組織全体の利益に繋がるものなのか。その自問自答が諫言の価値を決めます。
- タイミングと場所をわきまえる: 多くの人の前でリーダーの面子を完全に潰してしまうようなやり方は、賢明ではありません。時には文書で、あるいは一対一のプライベートな場で、冷静に、そして敬意を持って伝えるという配慮も時には必要です。
- 代替案を用意する: ただ現状を批判するだけでは、単なる「評論家」です。「この計画の問題点はここです。そして私ならこう改善します」という具体的な「代替案」や「解決策」をセットで提示すること。それこそが真に組織の未来を考える当事者の姿勢です。
よくある質問
Q: ただの文句や、愚痴と、建設的な「諫言」を、どう見分ければ良いですか?
A: その意見が「誰のため」のものかを考えてみてください。自分の不満を解消したいだけの個人的な「愚痴」か。それとも組織全体をより良くしたいという、公の視点からの「諫言」か。その根底にある「動機」に大きな違いがあります。
Q: 諫言を受け入れすぎると、リーダーシップが揺らぎ、朝令暮改になりませんか?
A: 意見を聞くことと、その意見にすべて従うことは全く違います。太宗もすべての諫言を受け入れたわけではありません。最終的な「意思決定」の責任はあくまでリーダーにあります。しかしその意思決定の「プロセス」において、できるだけ多くの多様な意見に耳を傾けることが、判断の精度を格段に高めるのです。
Q: そもそも、部下が、何も意見を言ってくれません。どうすれば良いですか?
A: それはあなたの組織の「心理的安全性」が極めて低い状態にあるという危険なサインです。まずはリーダーであるあなた自身から自己開示を始めることです。自らの弱みや失敗談を正直に部下に語る。そして「実はこの件で困っている。皆の知恵を貸してくれないか」と助けを求める。その謙虚な姿勢が、少しずつ組織の氷を溶かしていくはずです。
筆者について
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