想定読者
- インセンティブ制度を導入したが、社員の主体性が失われたと感じる経営者
- 社員の創造性やチャレンジ精神を、金銭以外の方法で引き出したいリーダー
- 報酬とモチベーションの複雑な関係を科学的に理解し、人材育成に活かしたい事業主
結論:あなたが報酬を与えた瞬間、「好き」は「義務」に堕落する
もしあなたが、社員のモチベーションを高めるための最善策が、金銭的なインセンティブ(報酬)であると信じているのなら、あなたは善意から、社員の心の中に宿る最も貴重な炎を、自らの手で吹き消しているのかもしれません。
私たちは、ビジネスの世界で「成果には報酬を」という原則を、疑いようのない真理であるかのように扱ってきました。しかし、心理学が明らかにした事実は、その常識を根底から覆す、極めて不都合なものでした。
それが、アンダーマイニング効果です。
この法則が示す、シンプルで残酷な真実。それは、人が内側から湧き出る好奇心や楽しさ(内発的動機づけ)から、ある活動に取り組んでいる時に、その活動に対して外的な報酬(金銭など)を与えてしまうと、その内側からのやる気が、著しく損なわれてしまう、というものです。
脳内で、一体何が起こっているのでしょうか。
それは、行動の理由のすり替えです。「楽しいから、好きだからやっていた」という純粋な動機が、「お金がもらえるからやるべきだ」という、外部からのコントロールされた動機へと、無意識のうちに書き換えられてしまうのです。そして、一度「仕事」になってしまった遊びは、二度と元の純粋な楽しさを取り戻すことはありません。
この記事は、多くの経営者が良かれと思って仕掛けてしまう、この「やる気の罠」の正体を、科学のメスで徹底的に解剖します。そして、社員を短期的な報酬で釣るのではなく、彼らが自らの内側からエネルギーを生み出し続ける、真に強靭な組織を築くための、具体的で実践的な知見をあなたに提供します。
第1章:なぜ、ご褒美のシールは「お絵かき」を奪ったのか?
アンダーマイニング効果の存在を、最もシンプルに、そして鮮やかに示した古典的な心理学実験があります。
楽しかったはずのお絵かき
心理学者マーク・レッパーらは、お絵かきが好きな幼稚園児たちを3つのグループに分け、実験を行いました。
- 報酬を約束されたグループ: 「上手な絵を描いたら、ピカピカの賞状とシールをあげますよ」と、事前に報酬を約束された。
- 報酬を予期しないグループ: 絵を描き終えた後、サプライズで同じ賞状とシールが与えられた。
- 報酬なしのグループ: 絵を描いても、特に何も与えられなかった。
実験から数週間後、研究者たちは、幼稚園の自由時間に、園児たちが自発的にお絵かきをする時間を、こっそりと観察しました。
結果は衝撃的でした。
サプライズで報酬をもらったグループと、報酬がなかったグループの園児たちは、以前と同じように、楽しそうにお絵かきに没頭していました。しかし、事前に報酬を約束されていたグループの園児たちだけが、お絵かきへの興味を明らかに失い、自発的に絵を描く時間が、実験前の半分以下にまで激減してしまったのです。
楽しかったはずのお絵かきは、彼らの中で「賞状とシールをもらうための手段(仕事)」へと変質してしまいました。そして、その報酬がなくなった時、彼らが絵を描く理由は、もはやどこにも残っていなかったのです。
第2章:脳内で起こる「やる気の乗っ取り」- アンダーマイニング効果の心理メカニズム
では、なぜこのような内発的なやる気の破壊が起こるのでしょうか。そのメカニズムは、心理学者エドワード・デシとリチャード・ライアンが提唱した自己決定理論によって、見事に説明できます。
1. 「自己決定感」の剥奪
人間が内発的なモチベーションを維持するために、最も重要な心理的欲求の一つが自律性(自己決定感)、すなわち「自分の行動は、自分自身の意思で選んでいる」という感覚です。
「好きだから」という理由でお絵かきをしている時、園児たちは完全に自律的です。行動のコントローラーは、自分自身の内側にあります。
しかし、「シールがもらえるから」という報酬が導入された瞬間、行動のコントローラーは、自分の中から、報酬を与える大人(外部)へと移動します。自分の行動が、外部の要因によってコントロールされていると感じた時、私たちの脳は、その活動に対する自律性を失い、本来持っていたはずの面白さや興味をも失ってしまうのです。
2. 「過剰正当化効果」による、理由のすり替え
私たちの脳は、自分の行動に対して、常に合理的な理由を探そうとします。
報酬がない時、お絵かきをする理由はただ一つ、「お絵かきが楽しいから」という内部的な理由です。
しかし、そこに報酬が与えられると、脳はもう一つの、非常に強力で分かりやすい理由を手に入れます。それが「シールがもらえるから」という外部的な理由です。
脳は、この強力な外部的な理由によって、自分の行動を過剰に正当化してしまいます。その結果、もともとあったはずの「楽しいから」という内部的な理由は、もはや不要なものとして、脳内で軽視され、やがて忘れ去られてしまうのです。
第3章:毒になる報酬、薬になる報酬
では、あらゆる報酬は悪なのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。報酬の種類と、その与え方によっては、内発的動機づけを損なうことなく、むしろ高めることさえ可能です。
アンダーマイニング効果を発動させやすい「毒になる報酬」
- 課題遂行条件型報酬: そのタスクを実行すること自体に対して与えられる報酬です。「このレポートを作成したら1万円」といった類のもので、最もアンダーマイニング効果を引き起こしやすい、危険な報酬です。
- 予期された報酬: 事前に「これをやれば、報酬がもらえる」と分かっている報酬。行動の理由が、報酬へとすり替わりやすくなります。
- 金銭的報酬: お金は、非常に強力な外部的コントローラーとして機能するため、特に内発的動機づけを低下させやすい傾向があります。
内発的動機づけをサポートする「薬になる報酬」
- 予期されない報酬(サプライズ): 行動が終わった後に、サプライズとして与えられる報酬は、行動の理由をすり替えにくいため、悪影響が少ないとされています。「今月の君の素晴らしい貢献に感謝して、特別なボーナスを支給するよ」。
- 言語的な報酬(称賛・承認): 「君のあのアイデアは、本当に素晴らしかった」「いつもチームを支えてくれて、ありがとう」。このような具体的な称賛や感謝の言葉は、金銭とは異なり、相手の有能感や自己決定感を高め、内発的動機づけをむしろ強化する効果があります。
- パフォーマンス条件型報酬: タスクをこなしたこと自体ではなく、その質の高さや、卓越した成果に対して与えられる報酬です。これは「コントロールされている」という感覚よりも、「自分の能力が認められた」という有能感に繋がりやすいため、使い方によっては効果的です。ただし、達成基準が厳しすぎると、過度なプレッシャーとなり逆効果になる場合もあります。
第4章:社員が自ら燃える組織を作る。経営者が本当にすべきこと
金銭的なインセンティブに頼るのではなく、社員の内側から湧き出るエネルギーを最大化するためには、彼らの根源的な心理的欲求を満たす環境を、経営者が意図的に設計する必要があります。
1. 「自律性」を与える - 社員を“大人”として扱え
マイクロマネジメントは、アンダーマイニング効果を誘発する最悪の経営手法です。それは、「私はあなたを信用していない」というメッセージに他なりません。
会社の大きな目標や、守るべき最低限のルールを示した上で、「どのように」その目標を達成するかというプロセスについては、可能な限り現場のチームや個人に裁量権を委譲しましょう。自分の仕事に、自分なりの工夫や創造性を発揮できる環境こそが、自律性を育むのです。
2. 「有能感」を育む - 成長を実感させる仕組み
人は、「自分は成長している」「自分の仕事には意味がある」と感じられた時に、最も強く動機づけられます。
- 具体的なフィードバック: 年に一度の評価面談だけでなく、日々の業務の中で、具体的で、建設的なフィードバックをタイムリーに提供する。
- 挑戦的な目標: 本人の能力を少しだけ上回る、絶妙な難易度の「ストレッチ目標」を設定し、その達成をサポートする。
- スキルの可視化: 研修や資格取得を支援し、本人が自らの成長を客観的に認識できる機会を作る。
3. 「関係性」を深める - 孤独な歯車にしない
人は、信頼できる仲間と、共通の大きな目的に向かって貢献していると感じられた時に、強いエンゲージメントを感じます。
- ビジョンの共有: 会社の理念やビジョンを、単なるお題目ではなく、経営者自身の言葉で、情熱を持って語り続けましょう。自分の仕事が、社会にどのような価値を生み出しているのかを実感させることが重要です。
- 感謝の文化: 成果だけでなく、プロセスにおける貢献や、他者へのサポートといった行動を、経営者自らが発見し、称賛する。感謝と承認が飛び交う文化は、金銭的報酬以上に、人々を繋ぎ止めます。
よくある質問
Q: では、給与やボーナスは、社員のモチベーションに全く影響しないのですか?
A: 影響はしますが、その性質が異なります。心理学者ハーズバーグの「二要因理論」によれば、給与や労働条件は「衛生要因」と呼ばれます。これらは、不足していると強い「不満」を引き起こしますが、十分に満たされていても、必ずしも高い「満足(モチベーション)」に繋がるわけではありません。給与は、社員が安心して働くための土台ですが、彼らを熱狂させるエンジンにはなり得ないのです。
Q: 営業職のインセンティブ制度は、完全に廃止すべきですか?
A: ケースバイケースですが、慎重な検討が必要です。件数をこなすだけの単純作業や、短期的な売上目標の達成には、インセンティブが有効な場合もあります。しかし、顧客との長期的な信頼関係の構築や、複雑なソリューション提案といった、創造性や内発的な探究心が求められる業務においては、インセンティブがむしろ逆効果となり、短期的な成果のために顧客の利益を損なうような行動を誘発する危険性があります。
Q: 子供のお手伝いにお小遣いをあげるのは、やはり良くないのでしょうか?
A: この効果は、教育の場面でも強力に働きます。読書や勉強といった、「その活動自体の楽しさや面白さを学んでほしい」と願う行動に対して、外的な報酬(お小遣いやご褒美)を与えることは、その内発的な興味を破壊するリスクが非常に高いと言えます。一方で、ゴミ出しや部屋の掃除といった、本人が自発的に「楽しい」と感じることが少ない、単なる「義務」に対して、報酬を与えることは、行動を促す上で有効な場合があります。
Q: どうしても金銭的報酬を与えなければならない場合、アンダーマイニング効果を避けるコツはありますか?
A: 報酬の「与え方」と「メッセージング」が極めて重要です。報酬を、社員の行動をコントロールするための「道具」としてではなく、彼らが成し遂げた素晴らしい成果や貢献に対する「感謝と承認のしるし」として位置づけ、その意味を言葉で明確に伝えましょう。「あなたの〇〇という行動は、チームに素晴らしい貢献をもたらした。これは、会社からの心からの感謝の気持ちです」。このような伝え方が、自己決定感を損なうリスクを最小限に抑えます。
筆者について
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