想定読者
- 自分や顧客の「お金の使い方」のクセを深く理解したい方
- より効果的な価格設定やプロモーションの方法を模索しているマーケター
- 行動経済学の視点から、賢いお金との付き合い方を学びたい方
結論:私たちの頭の中では、1万円は1万円ではない
経済学の大前提は、「お金は代替可能(fungible)である」ということです。つまり、あなたが汗水流して稼いだ1万円も、宝くじで当たった1万円も、道で拾った1万円も、その価値は全く同じ「1万円」であるということです。
しかし、私たちの心はそのようには感じません。
給料から支払う家賃の1万円は「重く」、飲み会で割り勘負けした1万円は「悔しく」、そして臨時収入から支払う趣味の1万円は驚くほど「軽く」感じられます。
この、お金の出所や使い道によって、無意識のうちに心の中で異なる「勘定科目」に分類し、その価値や使い方を主観的に変えてしまう心理現象。それが、ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラ―が提唱する**「メンタルアカウンティング(心の会計)」**です。
私たちは皆、頭の中に自分だけの「心の家計簿」を持っています。この家計簿の存在を理解することは、自分自身の不合理な金銭感覚を理解するだけでなく、顧客がお金を払う際の深層心理を読み解くための強力な鍵となるのです。
失くしたのが「チケット」か「現金」かで、あなたの行動は変わる
この「心の会計」の不思議さを見事に示した、有名な思考実験があります。
- ケース1: あなたはコンサートに行くために、事前に1万円のチケットを買っていました。しかし、会場に着いた時、そのチケットをどこかで紛失してしまったことに気づきました。あなたはもう一度1万円を払ってチケットを買い直すでしょうか?
この場合、多くの人が「買い直さない」と答えます。なぜなら、彼らの「心の会計」では「コンサート代」という勘定科目にすでに1万円を支出済みだからです。もう一度チケットを買うことは「2万円のコンサート」に行くことになり、それは「高すぎる」と感じてしまうのです。
- ケース2: あなたはコンサートのチケット(1万円)を会場の窓口で買おうと思っていました。しかし、会場に向かう途中、財布から1万円札を一枚落としてしまったことに気づきました。あなたは予定通りチケットを買うでしょうか?
この場合、多くの人が「それでもチケットは買う」と答えます。経済的な損失はケース1と全く同じ「1万円」です。しかし、今度の損失は「コンサート代」の勘定科目からではなく、「不運な雑損失」という全く別の勘定科目から支払われます。彼らの心の中では、コンサートのチケット代は依然として「1万円」のままなのです。
この実験は、私たちが、いかにしてお金に「色」をつけ、異なる「心の口座」で管理しているかを明確に示しています。
私たちの頭の中にある3つの「心の会計」
では、私たちはどのような基準でこの「心の会計」を行っているのでしょうか。主に3つの分類パターンが挙げられます。
- お金の「出所」による色分け 最も代表的なのが、お金の「稼ぎ方」による分類です。
- 勤労所得(給料など): 汗水流して苦労して稼いだお金。心の会計上、「経常収入」の勘定科目に入り、家賃や食費といった真面目で必要不可欠な支出に慎重に割り当てられます。
- 資産所得(配当金など): 投資などによって得たお金。「臨時収入」の勘定科目に入り、少し大胆な自己投資や贅沢に使われがちです。
- 偶然所得(宝くじ、贈与など): 全く予期していなかった「あぶく銭」。「特別利益」の勘定科目に入り、「なかったもの」として、普段は絶対にしないような非日常的な消費や衝動的な買い物にあっさりと使われてしまいます。
- お金の「使い道」による予算分け 私たちは頭の中に「食費」「交際費」「娯楽費」「自己投資」「貯金」といった費目ごとの「封筒」を用意しています。そして、「娯楽費」の封筒が空になれば、たとえ「貯金」の封筒に十分なお金があったとしても、娯楽を我慢しようとします。これは、家計を管理する上では合理的な習慣ですが、時に、より大きな利益を逃す不合理な判断に繋がることもあります。
- お金の「支払い方法」による感覚の違い 前回の「支払いの痛み」でも触れたように、支払い方法によってもお金の価値は主観的に変わります。特に、クレジットカードの利用枠は「自分の資産」であるかのように錯覚されやすく、借金であるという感覚が薄れ、支出のハードルを大きく下げてしまいます。
よくある質問
Q: メンタルアカウンティングは、ただの「どんぶり勘定」とは違うのですか?
A: 違います。「どんぶり勘定」は、お金の出入りをそもそも管理していない状態を指します。一方で、「メンタルアカウンティング」は、たとえ無意識的であっても**自分なりのルールでお金を分類し、管理しようとする人間の認知的な「システム」**なのです。それは、単なる怠慢ではなく、複雑な金銭管理を少しでも楽にしようとする心の働き(ヒューリスティック)と言えます。
Q: この心のクセを、良い方向に利用することはできますか?
A: もちろんです。これこそがメンタルアカウンティングを学ぶ最大のメリットです。例えば、貯金をしたいなら、給料が振り込まれる口座とは別に、「絶対に手をつけない、夢の旅行資金」という名前の口座を作り、そこに毎月自動で送金するのです。物理的に、そして心理的に「勘定科目を分ける」ことで、無駄遣いを効果的に防ぐことができます。
Q: クレジットカードの使いすぎを防ぐには、どうすれば良いですか?
A: クレジットカードによる支払いの「抽象性」をできるだけ「具体性」に引き戻すことが有効です。例えば、カードと連携する家計簿アプリを使い、支払いが行われるたびに即座に通知が来るように設定する。あるいは、週に一度必ず利用明細を確認する習慣をつける。支払いの「見える化」が、使いすぎの何よりの抑止力となります。
Q: ビジネスで、この心理を利用するのは、顧客を騙していることになりませんか?
A: それは、意図と顧客にもたらす結果によります。例えば、顧客を不必要な高金利ローンに誘導するためにこの心理を利用するのは非倫理的です。しかし、顧客の健全な消費を後押しするためにこの心理を応用するのは優れたマーケティングと言えます。例えば、ソフトウェアの価格を「一日あたり、缶コーヒー1本分です」と表現するのは、顧客がその投資の価値をより身近な「勘定科目」で正しく評価するのを手助けする行為なのです。
筆者について
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