想定読者

  • つい物事を先延ばしにしてしまい、自己嫌悪に陥りがちな方
  • 顧客の「今すぐ欲しい」という欲求をマーケティングに活かしたい方
  • 長期的な目標達成のために、自分の意思決定のクセを理解したい方

結論:私たちの脳内では、常に「現在の自分」が「未来の自分」の利益を横取りしている

あなたの目の前に、2つの選択肢があります。どちらを選びますか?

  • 質問1:
    • A:今すぐ1万円をもらう
    • B:1週間後に1万1000円をもらう

この場合、多くの人が1000円の差には目をつぶり、目の前の「1万円」という確実で即時的な喜びに飛びつくでしょう。

では、次の質問ではどうでしょうか。

  • 質問2:
    • A':1年後に1万円をもらう
    • B':1年と1週間後に1万1000円をもらう

この場合、ほとんどの人が冷静に「たった1週間待つだけで1000円も増えるなら、もちろんそっちの方が得だ」と考え、B'の「1年と1週間後」の選択肢を選ぶはずです。

不思議だと思いませんか? どちらの質問も「1週間待てば1000円多くもらえる」という全く同じ条件です。それなのに、その決断を「今」するのか「遠い未来」にするのかによって、私たちの判断はいとも簡単に覆ってしまうのです。

この、未来の価値を現在に近いほど極端に大きく割り引いてしまう(過小評価してしまう)という人間の不合理な心のクセを、行動経済学では「双曲割引(Hyperbolic Discounting)」と呼びます。

私たちの頭の中には、目先の快楽を求める衝動的な「現在の自分」と、将来の利益を考える理性的な「未来の自分」が同居しています。そして、多くの場合、声が大きく力も強い「現在の自分」が、「未来の自分」が得るはずだった利益をいとも簡単に横取りしてしまうのです。

なぜ、未来の価値は「割り引か」れてしまうのか

この不合理な「割引」は、なぜ起きてしまうのでしょうか。

一つは、未来の「不確実性」です。「掌中の一羽は、藪中の二羽に勝る(A bird in the hand is worth two in the bush.)」のことわざの通り、私たちは今すぐ手に入る確実なものを、不確実な未来の大きなものよりも価値が高いと感じる傾向があります。「1週間後、本当にもらえるだろうか?」という無意識の疑いが、未来の価値を割り引かせるのです。

もう一つは、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが提唱する「二つの脳(システム1とシステム2)」の働きです。私たちの脳には、感情的で衝動的で即時的な判断を下す「システム1(速い思考)」と、理性的で計画的で長期的な判断を下す「システム2(遅い思考)」があります。目の前に魅力的な報酬があると、強力な「システム1」が脳を乗っ取り、「システム2」が計算を始める前に意思決定を下してしまうのです。

私たちの日常に潜む「双曲割引」の罠

この「双曲割引」は、私たちの日常のあらゆる「悪いクセ」の正体でもあります。

  1. 先延ばし(Procrastination) 「面倒な仕事に取り組む」という現在の小さな「苦痛」を避けるために、「締切間際の絶望」という未来の大きな「苦痛」を自ら選択してしまっています。
  1. 不健康な生活習慣 「ケーキを食べる」「タバコを吸う」という現在の小さな「快楽」のために、「将来の健康な身体」という非常に大きな価値を大幅に割り引いてしまっています。
  1. クレジットカードの負債 「今すぐ商品を手に入れる」という即時的な「快楽」のために、「将来、利息という名の罰金を払う」というより大きなコストを意図的に無視してしまっています。

ビジネスにおける「双曲割引」の応用

この強力な心理バイアスは、マーケティングの世界では顧客の行動を促すために広く応用されています。

  • 「今すぐ」を強調する 「期間限定」「本日限り」「今すぐ購入」といった言葉は、顧客の理性的な「システム2」が働く前に、衝動的な「システム1」に直接アピールし、即時的な行動を促します。
  • 支払いの「痛み」を先延ばしにする 「今すぐ商品を手に入れ、支払いは後で」というBNPL(Buy Now, Pay Later)サービスは、まさに双曲割引の応用です。顧客は、商品の所有という「現在の快楽」を即座に手に入れ、支払という「未来の苦痛」を実感のない遠い未来へと追いやってしまうのです。
  • 長期契約による割引 「月々払うより、年払いにすると2ヶ月分お得です」という提案は、顧客の「未来の自分」に語りかける賢い戦略です。「将来の利益(割引)」を「現在の意思決定」に結びつけることで、合理的な判断を後押しします。

よくある質問

Q: この「先延ばしグセ」を、どうすれば治せますか?

A: 未来の大きな目標を、現在感じられる「小さなご褒美」に分解することが有効です。例えば「1ヶ月後にレポートを完成させる」ではなく、「今日この1ページだけ終わらせたら、好きなデザートを食べる」と決めるのです。「現在の自分」に小さな賄賂を渡して、言うことを聞いてもらうイメージです。

Q: これは、単に「意志が弱い」だけではないのですか?

A: 「意志の力」は筋肉と同じで、使えば疲弊する有限なリソースです。双曲割引は、人間の脳に組み込まれた基本的なOSのようなものです。意志の力だけでこのOSに逆らい続けるのは非常に困難です。意志力に頼るのではなく、このクセを理解した上で、行動せざるを得ない「仕組み」や「環境」をデザインする方がはるかに効果的です。

Q: 顧客のこの心理を利用するのは、倫理的に問題ありませんか?

A: それは、その「目的」によります。顧客が本当に価値のある商品やサービスを試す「最初の一歩」を後押しするためにこの心理効果を使うのであれば、それは顧客と企業の双方にとって有益なことかもしれません。しかし、顧客を返済能力のない負債のサイクルに陥れるためにこの効果を悪用するのは明らかに非倫理的です。道具そのものに善悪はないのです。

Q: 将来の自分と、現在の自分の利害を一致させるには?

A: 「未来の自分」を、他人事ではなくリアルな「自分事」として感じることが重要です。例えば「10年後の自分への手紙」を書いてみたり、不健康な生活を続けた場合の自分の将来の姿をありありと想像してみたりする。未来をより具体的に、より感情的に捉えることで、「現在の自分」の暴走にブレーキをかけることができるようになります。

筆者について

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